レポート:11月発表の研究論文 ③
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[論文解説] Universal noise-precision relations in variational quantum algorithms (Kosuke Ito, Wataru Mizukami, Keisuke Fujii (Phys. Rev. Research 5, 023025, arXiv:2106.03390)
この論文は、NISQデバイスでVQAを用いる際に発生するノイズを仮想的なゲートパラメータのガウシアンノイズと解釈することで、VQAで得られるハミルトニアンの期待値について理論的な上界と下界を与えている。
背景
量子コンピュータはShorの因数分解アルゴリズム、量子フーリエ変換やHHLアルゴリズムなど、いくつかのタスクにおいて古典コンピュータより優位性があると考えられており、それらの量子アルゴリズムを安定して実行できる誤り耐性のある量子コンピュータの原理や実現を目指して研究開発が続けられている。
一方で、現在すでに実現可能な量子コンピュータにはまだ誤り訂正機能がなく、本質的にはアナログ計算を行うため、量子ボットに対する演算や読み出しを行うごとに誤差が蓄積してゆく。このようなデバイスはNISQ(Noisy Intermediate Scale Quantum)デバイスと呼ばれ、上記のような理論的に有用性が分かっている量子アルゴリズムを直接実行することは難しいため、NISQデバイス上での実行に適した、期待値計算のような量子的な部分を量子回路で行い、パラメータを変化させて最適化を行う部分は古典コンピュータ上で行うといった量子古典ハイブリッドの変分量子アルゴリズム(Variational Quantum Algorithm:VQA)が考案され、特に量子化学分野などではその一例として変分量子固有値ソルバー(Variational Quantum eigensolver)が用いられている。
しかしながら、これらの変分的手法が実際に有用なタスクについて古典コンピュータに対して優位性があるかどうかは解析が難しくよく分かっていない部分が多い。その一つの原因は、VQAで重要となる、ハミルトニアンなどの演算子の期待値計算におけるノイズの影響を系統的に評価する方法が少なかったことによる。
この論文の成果
この論文では、NISQデバイスに存在するノイズを数学的に表現する量子過程は、見方を変えると回路に仮想的に挿入された回転ゲートの回転角のガウス的なゆらぎと解釈できることに注目し、VQA回路におけるハミルトニアンの期待値が、ノイズによってその真の値からどのようにずれるかを調べた。この結果、そのずれに対する上界と下界を実際の回路の特性から求めることが可能になり、またこのずれを補正することによって、既存の手法(外挿法や確率的誤差キャンセリング)とは異なる新しい量子誤差低減法の提案をも同時に行い、この手法が有効に機能することを数値シミュレーションによって検証した。
手法
この論文の基本的だが重要な着眼点はProposition 1という形で述べられている次の事実にある。
まず、ノイズを数理的に表現するには、量子状態$\rho$に対する量子過程という形で表現する。今考えているノイズのある量子回路において、確率$p$であるパウリ演算子$B$によるパウリノイズが乗るという状況は、以下の量子過程${\mathcal E}_{B, p}$によって、
$$ {\mathcal E}_{B, p}(\rho) = (1-p)\rho + pB\rho B^{-1} $$
と表現される。一方、$A$軸まわりの回転ゲート$U(\theta) = \exp(-i\frac{\theta}{2}A)$は量子状態$\rho$を$U(\theta)\rho U^{-1}(\theta)$に変換する。これもユニタリゲートによる量子過程の一つなので、$\mathcal{U}_{A, \theta}(\rho) := U\rho U^{-1}$と定義しておく。
このとき、回転角$\theta$のまわりにゆらぎ$\eta$が存在し、それがガウス分布$P(\eta) = \frac{1}{\sqrt{2\pi \sigma^2}} \exp(-\frac{\eta^2}{2\sigma^2})$に従うと考えると、Appendix Bにある簡単な計算により、 $\sigma^2 = -2\log(1-2p)$とおいてやると、
$$ {\mathcal E}{B, p} = \int{-\infty}^{\infty} \mathcal{U}_{A, \eta} P(\eta)d\eta $$
が成り立つことが分かる。
この式の意味するところは、任意のパウリ演算子(複数の量子ビットにまたがるパウリ行列のテンソル積の形でよい)による確率pで発生するノイズチャンネルは、仮想的にそのパウリ演算子による回転ゲートが量子回路に存在し、その回転角が平均0、分散$\sigma^2 = -2\log(1-2p)$で与えられるガウス分布にしたがって揺らいだ結果と見ることができるということである。
一方実際に今対象にしている量子回路に含まれている回転ゲート$R(\theta) = \exp(-i\frac{\theta}{2}A)$については、この仮想的なゲートと合わせて外部から最適化される回転角$\theta$のまわりに$\eta$だけのゆらぎが発生すると見ればよい。
通常VQAで最適化の対象になるコスト関数は、適当なハミルトニアン$H$の変分回路$U(\vec{\theta})$で初期状態$\ket{\phi}$から生成した状態における期待値
$$ C(\vec{\theta}) = \bra{\phi}U^{-1}(\vec{\theta})HU(\vec{\theta})\ket{\phi} $$
である。ここで変分量子回路中には複数の回転ゲートとそれに伴って複数の回転角があるので$\vec{\theta}$のように表記している
しかしノイズの影響を考えると、実際に測定で得られるのは、これらのノイズについて平均化された
$$ C_{noisy}(\vec{\theta}) = \int C(\vec{\theta} + \vec{\eta}, \vec{\Delta})\Pi_{j=1}^M P_{\sigma_j}(\eta_j)d\eta_j \Pi_{\nu = 1}^{M_{SNC}}P_{\sigma_{SNC, \nu}}(\Delta_\nu) d\Delta_\nu $$
ということになる。ここで実際に回路に存在する回転ゲートと同じタイプのノイズチャンネルの仮想回転角は$\eta_j$、実際の回路に存在しないタイプのノイズチャンネルに対応する仮想的な回転角は$\Delta_\nu$と分けて表記してある。
ここから著者たちは詳細な計算を行い、ノイズの存在によるコスト関数の誤差 $\epsilon(\vec{\theta}) = C_{noisy}(\vec{\theta}) - C(\vec{\theta})$について、その主要な項は $\frac{1}{2} \sum_{i=1}^{M_{tot}} \frac{\partial^2}{\partial \theta_i^2} C(\theta) \sigma_i^2 $、すなわちノイズを考えないコスト関数のヘッシアンの対角成分によって決まることを示した。
そしてこの表式を上と下からそれぞれ抑える不等式を求め、これによって量子回路中の各コンポーネントで均等なスケールpでエラーが発生する場合、あるいは2量子ビットゲートでのエラーが支配的である場合などの想定の下で、コスト関数の誤差を与えられた値以下にするためにはデバイスのノイズレベルをどの程度に抑えればよいかの十分条件や必要条件も求めている。
もう一つ重要な指摘は、誤差を減らすにはヘッシアンを小さくする必要があるが、それはコスト関数が極小点のまわりでフラットに近いランドスケープを持つことになり、勾配の値が小さくなるため最適化には不都合であることを意味している。 つまり誤差と最適化のしやすさとはトレードオフの関係にあることである。
またこの結果によって、実測されるコスト関数の値からこの誤差の主要項を差し引いたものが真のコスト関数の推定値ということになるため、これはNISQデバイス上でのノイズの影響を低減する新しい手法をも与えていることにもなる。
数値実験
一例として、4量子ビットのハイゼンベルグ反強磁性体モデル
$$ H = \sum_{i=1}^4 (X_i X_{i+1} + Y_i Y_{i+1} + Z_i Z_{i+1}) $$
の最低固有値をVQEで求めた時の誤差と、論文中の評価による上界と下界を示す。パラメータqは2量子ビットゲートと量子ビットの読み出し操作における誤り率で、1量子ビットの誤り率は0.1qとと設定されている。
<img src="img/arxiv-2106.03390-fig2.png">上界と下界の表式には各ゲートに対応する多くの項が含まれているので、それをいくつかのレベルで簡略化して計算することにより数種類の異なる上界と下界の近似がプロットされている。
この論文の意味
NISQデバイス上で実行可能なVQAアルゴリズムについて、その精度に対する具体的な評価方法が得られたという意義は大きく、特に精度が重要になる量子化学計算などで、実現可能な構成の中で最も精度を高めるためにはどのような回路を選択すればよいかなどを検討する場合の指針となる可能性がある。
また個々のゲートやコンポーネントの精度が最終的な誤差にどのように効くかもこの研究によって調べる方法が得られたと言える。